お金以上に価値のあるもの

彼氏の誕生日プレゼントを買いたい。
そんな理由でこの研究施設の実験体に彼は志願してきた。くたびれたその辺に居るサラリーマンにしか見えないが、そろそろ役職を貰って然程金に困らない年だろうに。彼の個人情報が載ったアンケート用紙と検査表の紙束を捲りながら仔細を尋ねると、ブラック企業で残業代もろくに支払われないのに、会社の呼び出しには昼夜問わず応えるような生活を送っているらしい。

落ち窪んだグレーがかった瞳を見据えながら、それは大変だね、とかなんとか適当なことを言いながら僕は全く別のことを考えていた。彼の着ているスーツに然り気無く入ったマークについてだ。僕は服に詳しい方ではないが、学会に行った時、成金の会長が長年使い込んだであろうハンカチに同じマークが付いていたことは覚えている。つまりは老舗ブランドというわけだ。目の前にいる安月給の男がそんな衣装を普段使いにするだろうか、恐らくは彼の言う恋人からプレゼントされたものに違いない。そのお返しに使う金を稼ごうとすると、なるほど、凡夫はこんな怪しげな実験に加担するしかないのだろう。

早足で実験部屋、という名の半分がらくた倉庫に被験者を案内する。脱衣を指示すると、骨ばった細長い指を自身のネクタイに絡ませていじくり倒している。ここまで来て怖じ気づいたのか、金持ちの彼氏には散々脱がされているだろうに、と呆れ半分苛立ち半分で見ていると、その視線の意味に気付いたのか、結び目をするっと解いて用意された籠に放った。人の感情に人一倍敏感な普段から人の顔色を伺ってばかりの人間か。そうでなければ、仕事も恋愛もこんな風ではなかっただろうから至極当然とも言える。

お高いジャケットからコンビニで買ったような黒のトランクスまで全て脱ぐと、彼はとって食われるんじゃないか、なんて顔で僕の様子を伺ってきた。失礼な奴だ。この実験の目的は僕が企画に携わった強制絶頂マシンの最終段階の微調整のためだ。企画段階では論理的には史上最高の快楽を感じられるように設計したが、念のため業者に卸す前にチェックしたい。あくまでビジネスの話なのに、まるで僕がこんな趣味の持ち主かのように思い違いしているのか。僕だってお前と一緒で、金さえあればこんな話は受けていなかったさ。

愛想笑いなんて洒落たスキルも持っていないのでさっさと機械に股がるように命じる。三日月型の美しいフォルムだ。使用者は、まるで月に抱き付くかのような形のまま固定される。手首はそれぞれ、月の端部分に存在する表面と裏面にある拘束バンドで締められ、足首も逆の端部分で同様の措置を受ける。被験者本人には出来ないので、手ずから四つのバンドを締めてやる。股がる部分には男性器を模した部品が丁度付いているため、あとは位置調整をして部品を被験者に繋ぎ合わせるだけだ。

「あの、やるんですか?……本当に?」

それまで静かに僕の言うことを聞いていた男が突然声を上げた。産まれたままの姿で自らこんな淫猥な拷問器具に乗っかったままで。

「すみません。俺、お金は欲しいけどやっぱりあいつに悪い気がしてきちゃって。こんなことで手に入れたお金で買ったプレゼントで本当に喜んでくれるのかなって……一度は決心したことなのに今更こんなこと言ってすみません」

なんて顔をしているんだろう。

彼を機械に設置するために動かしていた自分の手が自然と白衣の中に収まった。視界に映るのは、部屋の奥にある過去に意気揚々と自分が学会で発表し、そして否定された健康促進マシンの残骸だ。昔は金や名誉なんてどうでも良くて、純粋に開発を楽しんでいたっけ。僕は笑顔で彼に話しかけた。

「本当に……今更何を言っているんだ?」

ポケットの中に入れていたリモコンのスイッチを入れる。見開かれたモルモットの目玉が一際開かれ、苦しそうな呻き声を上げた。自分自身で繋ぎ合わせていれば、好きに調節出来ただろうに。拘束も丁度施し終えたし、こいつはもう逃げることは出来ない。無理やり体内に異物を捩じ込まれる気分はどんなものだろうか。

「痛みは?」

「ないで…ぁ…あ、んくっ…あアッ」

アンケート用紙を捲って、検査表の最初の項目に丸印を付ける。どうしようもないやつだ。実験を始めて三分ともたずに達している。その後は、初めて挨拶した時の一般的なサラリーマンなんて面影はまるで無く、甘い鳴き声を上げながら体を定期的にびくつかさるだけの生き物に成り下がった。

「覚えてる?この実験、機械の出力レベルを上げれば上げる程報酬を弾むって話」

「イッ、はぃっ…ん」

「あれは半分嘘だ。レベルを上げれば上げる程、被験者が壊れて、回答に信憑性が無くなるから。君の瞳孔の開き具合からして、既に疑わしい。信憑性の薄い回答には
金を支払えないけど、それでもレベルを上げたい?」

答えは当然分かっていた。彼は実験直前と同じ表情で

「もっと…もっおあげれ、くらさぃいいっっ」

笑顔で強請ってきた。
僕は静かにリモコンの目盛りを動かした。

企画段階ではそこそこいけると思ったんだけどね、どこからともなくそんな声が聞こえる気がする。やっぱり学会は苦手だ。嫌な気分になりながらも過去を思い出す。あの実験の後、僕は実験結果を基にした書類を徹夜で仕上げて、方々に売り込みに行った。

しかし、どこに持って行っても難色を示される。皆口を揃えて、人格まで変えなくて良い、だなんて言い出す。被験者はもともと強烈な被虐趣味の持ち主だと説明しても、いまいち納得してもらえない。被験者は恋人が居て、金に困ってる、そんなデータじゃなくて、あの顔を見れば何もかも分かるはずなのに。

次は証拠としてビデオを回しながら実験するか。いや、もうあんな人間は二度と現れないだろう。あの出会いは偶然だったんだ。大人しく健康マシンの開発に戻るべきか。

憂いを帯びていると、背後から突然声をかけられる。振り向くと会長の姿があった。僕とは正反対のやけに良い笑顔だ。その若さで会長になる程成功した上に更に良いことがあるとはな。

「見てくれ、このスーツ。俺が好きなブランドのやつを、この前彼氏が買ってくれてさ。あいつが学生時代にくれたハンカチも大事にしてるけど、誕生日にスーツを送り合うってなんか大人っぽくて良いよな。」

なるほど、やっぱり僕は健康マシンの開発に戻るべきみたいだ。

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