左足に、鎖

 「郁ちゃん」
 そう呼ばれて、子分のように後ろをついてこられるのは悪い気分じゃない。幼い頃から彼は側を離れなかった。

 先月、郁は結婚した。会社の同期の女を、飲んだ拍子のたった一回で孕ませてしまったからである。しかし、ちょうど、出世への道をうまく進んでいた時期。彼女に対して特別な感情はなかったが、専務を父に持つ彼女を取り込める良い機会だった。
 「郁ちゃん、俺、まだ郁ちゃんのお世話しても良いよね?」
 しかし、この男は郁が結婚し、その女と同居を始めても変わらず郁の元を訪れる。実際、家事をしたことがないと話す彼女との生活は苦でもあったし、つわりですっかり寝込んでしまった彼女の世話をするのも、今はもう全部この男に任せっきりである。
 郁と妻、そして部下の晴樹との不思議な関係が続いていた。

 「もうこれ以上、郁くんに付き纏わないで!この家だって、2人で暮らすために借りたの。それなのに、どうしてあんたが出入りするのよ!」
 仕事から帰宅し、玄関前でそんな金切り声を聞く。耳が痛い、またあの女のヒステリックが始まり、中で言い合いでもしているんだろう。郁は暫く場が収まるまでドアの前で立ち、入るタイミングを見計らっていた。
 「うるさいなぁ、元といえば俺と郁ちゃんはずっとこうして暮らしてきたし、後から来たのはお前の方だろ?それに俺がいなくなったら、お前は郁ちゃんに何食わせるつもり?添加物だらけの飯なんか、あの人、俺の飯に慣れ切ったせいで口にしないと思うけど」
 いつだったか、無理に持たされた彼女の弁当を開いて吐き気がしたことがあった。コンビニの弁当でさえ、口に合わなくなっている郁である。冷食や、化学調味料を多く使った彼女の料理は、晴樹の美味い飯を食い続けた後では、比べるまでもなく、体が受け付けなかった。
 「で、でも、子供が産まれたら、普通は家にパパとママがいるものじゃない?あんたがいると、家の子が普通じゃなくなるの。家事をするだけに知らない男がこの家にくるなんて、そんなのありえないじゃない」
 「…さぁ、周りからどう見られるかなんて知らないよ。まぁ、でも、俺は郁ちゃんの子供を愛すことができるよ。お前が産んだとしても、郁ちゃん似のきっと可愛い子だろうね」
 頬を叩くような鈍い音が響く。女が晴樹に手を上げたのだろう。郁はため息をついた後、目の前のドアを開けた。

 「お前ら、外まで音が漏れてるぞ」
 郁の帰宅に彼女が顔を青くする。郁の前ではおしとやかで物静かなフリをしている彼女である。まさか全て聞かれていたとは思わなかったのであろう。
 「郁ちゃん、おかえり。先にご飯にするなら用意してくるけど」
 打たれて頬を赤くした晴樹が何事もなかったかのような顔をして郁の鞄を手に取り、上着を脱がせてくれる。この男もまた裏表が激しいが、郁にとってはもうすっかり見慣れた姿なので気にしない。郁には害がないのだから、好きにさせておけば良い。
 「不満か?俺はお前と結婚する際に話したよな、出入りする男がいると。それはお前の家族にも同じで、晴樹の存在を理解してもらってる。多少、家事をするだけの男が出入りするくらい、どうして理解できない?」
 「こ、この人は…その…怖いんです。この家から私の居場所がなくなるようで」
 「ふぅん?よく分からないが、仕事も辞めて腹に子がいる。家で寝ているだけで毎日が暮らせるのだから幸せじゃないか?」
 彼女の話が長引きそうで、郁はポケットから煙草を取り出す。さっ、と火をつけたのは晴樹で、郁は煙を静かに吐いた。
 「お前がどうしようと構わないが、多分この男は俺のそばを離れないし、俺も手放せない。諦めろ」

 ……そんな日常。酷く不安定なその生活が、ある時、ぐらりとバランスを崩した。

 酷く体を揺さぶられ、那津の喉からは枯れた小さな声しか漏れない。腰を持ち上げられ、男のものを深く押し入れられると、那津は体を震わせながら、何度目かも分からない射精をした。

 「郁ちゃん…っ、郁ちゃん…」
 目の前の男はそう浮ついたように呟くながら、那津の体を犯していく。彼の瞳には、もう那津の姿は映っていないのだろう。
 「っ、ぅぁぁ…」
 足が強く引かれ、彼のものが那津の奥深くを抉る。もうすっかり空っぽのはずの那津の性器は、彼の動きに合わせて激しく揺れて、だらりと蜜を漏らす。
 「郁ちゃん…あぁ、気持ち良いよ」
 那津を抱くこの男は小柄な那津に比べ、すらりと長い身長とその綺麗な顔でいつも那津にとっては自慢の男だった。対称に小柄で、幼い顔つきの那津はずっとそんな自分な顔がコンプレックスで、けれど彼はいつも那津を大切にしてくれた。それが亡き父に重ねられていると気付いたのは最近のことなのだが。

 「あ、っぁ…」
 高校を卒業したその日、那津は彼に部屋に引き摺り込まれる。
 父が亡くなり、母が消えたまだ幼い時、那津は見知らぬ親族ではなく彼を選んだ。ずっと側にいてくれた彼の元を那津は離れがたかったのだ。そうして、2人で平和に暮らしてきたはずだった。それが突然、酒臭い匂いを纏わせながら、晴樹は行為を強要した。
 性器を咥えられ、卑猥な音をさせながら、後孔を彼の指に侵される。痛みで何度叫んでも、彼が行為を止めてくれることはなかった。

 「っ、んっぐ、ふぁ…ん」
 左足に長い鎖。初めて体を開かされた日から、もうずっと那津は家を出ていない。ベッドの上や風呂、時にはダイニングテーブルの上まで。彼は、父親と過ごしたこの家で、似た顔の那津を重ねては、何度も犯していく。
 『ずっと、こうしたかった…』
 初日、そう彼に告げられた時、少しときめいてしまった自分に嫌気がさす。きっと、まだ体が辛くなかったあの時なら、彼を推し退いて逃げ出せただろう。
 …しかし、今の那津にはもう無理なのだ。体はいつも鈍い痛みが続き、失神するまで彼に揺さぶられる。食事から排泄まで全て彼に管理され、そんな生活が1週間も続いた頃から、那津には逃げる気力がなくなっていた。
 「っ、い…ふ、ぁぁあぁ、っぁ」
 「郁ちゃん、可愛いね」 
 もう、何も出ない。だらりと先から蜜が一筋漏れただけで、那津は体を震わせた。もう力は入らないくせして、中の男のものだけ強く絞る自分の体が嫌になる。すっかり、そう体が躾けられてしまった。
 彼は、そんな那津に嬉しそうに微笑んだ。
 「やっと、手に入ったんだ。僕の郁ちゃん」
 彼が腰を引くスピードを早める。卑猥な音が大きく響いて、那津の口からは喘ぐ声だけが漏れていた。
 この家を出る日は来るのだろうか?
 けれど、もし、彼に飽きて捨てられた後、この疼く熱をどうすれば良い?那津を置いて、晴樹が仕事に出る時間すら、今は物寂しくなっている。体はすっかり作り替えられてしまったのだ。

 「なぁ、晴樹。もっと、して良い…っ」
 父と似た顔で笑ってやれば、彼は幸せそうに微笑む。今はもう、彼から離れられない。ならば、こうして引き留め続けるしかなかった。
 「っ、嬉しい。郁ちゃん」
 彼が顔を近づけて那津の唇を強く吸う。同時に、那津の体内でまた硬くなった彼のものが、ゆっくりと動き出した。

 「郁ちゃん…俺を置いてかないで」
 那津は今日も、彼に抱かれ続けた。

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